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熊本地方裁判所人吉支部 昭和42年(ワ)72号 判決

原告 藤井明光

右訴訟代理人弁護士 和気寿

被告 市田秀孝

〈ほか二名〉

被告ら訴訟代理人弁護士 那須六平

主文

被告らは原告に対し連帯して金一〇五万八六四円とこれに対する昭和四二年一一月一四日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

原告その余の請求を棄却する。

訴訟費用はこれを一〇分し、その九を被告らの連帯負担とし、その余を原告の負担とする。

この判決は原告が被告らに対し金一〇万円の担保をたてたときはその被告に対し原告勝訴部分にかぎり仮に執行することができる。

事実

第一、当事者双方の申立

(原告の申立)

被告らは原告に対し連帯して金一七六万六九八四円とこれに対する昭和四二年一一月一四日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

訴訟費用は被告らの連帯負担とする。

との判決ならびに仮執行の宣言を求める。

(被告らの申立)

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

との判決を求める。

第二、当事者双方の主張ならびに答弁

(請求原因)

一、原告は昭和三四年四月熊本県人吉市田町から同県球磨郡錦町大字西字木揚八四八番地に移住し、同所に建築した家屋において食糧品、雑貨、菓子、鮮魚、煙草等の小売店を営み、妻カッヱ、長女恵子、二女祐子、三女祐美子とともに安穏に生活していた。

二、(一) 昭和四一年当時、被告市田は錦町第二消防分団の分団長であり、被告江口および同平生は同分団の団員であった。

(二) 同年一月二日午後一時頃から原告方筋向いの木揚公民館広場で右第二消防分団の出初式の訓練が行なわれ、その後原告方を会場として被告江口、同平生ら約八名が慰労宴を開いて飲酒中、当日の訓練に欠席した右分団員菅野三善が来訪して欠席した訳を述べたところ、被告江口、同平生らが菅野に因縁をつけて同人を原告方前道路上に連れ出し、同所において菅野の頭部等を乱打し、同人に重傷を負わせてこれを気絶させたので、見兼ねた原告がこれを制止したけれども、「お前は生意気だ。引っ込んでおれ。」と一喝されて、手の施しようもなかった。

(三) その後同月七日人吉警察署一武駐在所勤務樺島巡査が右事件捜査のため原告方を訪れ、原告にその協力を要請したので、原告はその記憶に基づきありのままの事実を供述した。

(四) その後同年四月二五日、被告らは原告の前示正しい供述が部落の平和を乱すものとして、右分団員および同人らの居住部落である木揚、大正、今山、風月野の住民達と共同して原告が木揚部落での共同生活、殊に前記営業生活ができなくなるように原告と絶交しようと共謀し、同日午後一時頃被告市田が原告方を訪れて原告に対しし、「お前はもっての外だ。今度の事件について警察へ嘘を言った。」と申し向け、原告から否定されると、「当方には証拠がある。那須忠義同様お前を村八分にすることを今日消防団幹部会で決定した。消防団員一同お前の家と交際はしないし、お前の家の商品は一切買わぬことを決議した。消防分団長としてこれをお前に通告する。この後生きて行かれるかどうか覚えておれ。」と大声で放言し、次いで同日午後二時三〇分頃被告江口および同平生が原告方を訪れて原告に対し、「お前が警察に嘘を言ったから事件になった。お前の言分を訂正するか、取り下げてこい。さもなければお前は村八分になったから生きて行かれんぞ。半殺しにしてやろうか。」と申し向け、更に被告江口は「町内三〇〇人の知恵とお前の知恵と知恵比べだ。警察なんか問題ではない。」と放言し、前示第二消防分団員および木揚、大正、今山、風月野の大多数の住民らと順次前同様の共謀をしこれを実行したため、右通告の翌日である昭和四一年四月二六日から俄然原告の店の買物客は跡絶えるに至った。

(五) それで、原告は錦町助役や同町総務課長、警察、法務局係官とも相談したが、何ら救済されなかったので、やむなく昭和四一年五月一四日原告所有の前示家屋を収去して人吉市浪床町に移築し、家族とともに同所に移住し、現在日雇労務者として辛くも生活を維持している。

(六) 原告は被告らの右村八分および不買同盟の決議と実行により次のような損害を蒙った。

(1) 原告は右家屋の移築費用として金二六万六九八四円を支出した。

(2) 被告らの右不法行為がなかったならば、原告は昭和四一年六月一日から同四二年一〇月三一日まで前示商店で金六〇万円の収入を得ることができたのに、右不法行為によりこれを失った。

(3) 原告は被告らの右不法行為により昭和三四年四月以来営営として築き上げて来た商業上の基盤を失い、原告の自由と名誉を侵害されて甚大な精神的苦痛を受けた。これに対する慰藉料は金八〇万円が相当である。

(4) 本件損害賠償請求事件は複雑であって原告自らその訴訟を追行することは困難であるので、原告は和気寿弁護士に対し昭和四二年九月一八日にこれを委任し、その報酬は本訴請求金額の一割五分が相当であるが、本件については特に金一〇万円を請求する。

三、そこで、原告は被告らに対し連帯して以上の損害金合計一七六万六九八四円とこれに対する不法行為後である昭和四二年一一月一四日から支払ずみまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

(答弁)

一、請求原因一のうち、原告が昭和三四年四月人吉市田町から球磨郡錦町大字西字木揚八四八番地に移住し、同所に建築した家屋において食糧品、雑貨、菓子、鮮魚、煙草等の小売店を営んでいたことは認めるが、その他の事実は不知。

二、同二のうち、昭和四一年一月二日午後原告方を会場として被告江口、同平生ら約八名が慰労宴を開いて飲酒中第二消防分団員菅野三善が来訪したこと、同日被告平生が原告方前路上で菅野の身体を一回叩いたこと、同年四月二五日午後一時頃被告市田が原告方を訪れ、同日午後二時三〇分頃被告江口および同平生が原告方を訪れたこと、同年五月(ただし、日は一六日である。)原告がその所有の前記家屋を収去し人吉市浪床町に移築し、家族とともに同所に移住したことは認めるが、同二の(三)の事実は不知、その他の事実は否認する。

原告が木揚部落で営んでいた商店の主な客は木揚部落の二六世帯と今山部落の一部にすぎなかった。そして、原告は味噌、醤油を人吉市のみどり屋から、魚類を同市田代、荒竹両商店から、菓子類を同市向後商店から仕入れていたが、いずれも買受代金を支払わないため取引停止を受けていた。その上、西村農業協同組合でも味噌、醤油、諸雑貨の小売を廉価で、かつ代金支払方法を盆、暮の二回払として始めたので、原告の営業も大打撃を受けて行き詰り、昭和四〇年頃から原告は訴外上村程松に原告の商店の売却方を依頼していたのである。そのため、原告は昭和四一年四月二五日被告江口と同平生がたまたま原告の店に買物に行って原告の捜査官に対する供述調書に間違いがある点を指摘されたのを好機と考え、消防団から村八分、不買同盟の通告がなされたと主張し、表のカーテンを閉めるに至ったのである。しかしながら、それでも裏では平常どおり営業を続けていたのである。しかも、現在原告は日通の日雇として、原告の妻は店員として就職し、二人で得た収入で、木揚部落におけるよりももっと平穏な、物心両面において安定した生活をしているのである。

第三、証拠≪省略≫

理由

一、原告が昭和三四年四月熊本県人吉市から同県球磨郡錦町大字西字木揚八四八番地に移住し、同所に建築した家屋において食糧品、雑貨、菓子、鮮魚、煙草等の小売店を営んでいたことは当事者間に争いがない。

二、≪証拠省略≫を綜合すると、次の事実を認めることができる。

昭和四一年当時被告市田は錦町第二消防分団の分団長であり、被告江口および同平生は同分団の団員であったが、昭和四一年一月二日午後一時頃から原告方より約三〇米離れた、原告方筋向いの木揚公民館の広場で右第二消防分団の出初式の訓練が行なわれ、同三時頃終了した後、同所で慰労宴が開かれ、同五時過終了して同分団の幹部は全員引き揚げ、同五時三〇分頃から団員の被告江口、同平生ら七、八名が原告方客間において引き続き宴会を開いて飲酒していた所へ、当日の訓練に欠席した訴外菅野三善が訪れ、当日欠席した詫びを述べたところ、被告平生からからかい気味に「消防のはっぴは着て来たや。」といわれて「そぎゃんとまでいわにゃならんとか。」と反駁したことから双方言い争いを始め、被告平生ら約三名が戸口に出かかったところ、菅野が被告平生の腹を蹴ったので同被告は立腹し、菅野を原告方路上に押し出し、いきなり手拳で菅野の顔、頭部を数回殴打して同人をその場に転倒させて気絶するに至らせ、同人に対し治療約一週間を要する頭部顔面打撲傷および後頭部切創を負わせた。そして、被告江口は被告平生が菅野に対し右暴行を加える際、同所において多数人のいる面前で「止むるな。止むるな。打て。打て。」などと言って被告平生を声援してその勢を助けた。

同月七日、人吉警察署一武駐在所勤務の樺島彦次郎巡査は右事件捜査のため同事件の参考人として原告に供述を求めたので、原告は自己の記憶に基づき右事件の模様を供述し、同巡査はこれを調書に記載し、原告はその内容に誤りがないことを確認してこれに署名押印した。

以上の事実を認めることができ、右認定を動かすにたりる証拠はない。

三、≪証拠省略≫ならびに前記原告が昭和三四年四月から錦町大字西字木揚八四八番地に移住して前示営業を営み、七年間同所に居住していた事実、後に認定する、原告が昭和四一年四月以前には一年五か月間に約六〇万円の純収益をあげていた事実、昭和四一年四月一七日頃被告江口と同平生が同年一月二日の前示傷害および傷害助勢被疑事件について取調を受け、同月二五日被告らが原告に対し右事件について原告が捜査官に供述した調書の内容について非難している事実、同年五月九日から同月一二日頃までの間に原告が錦町役場総務課長、警察署警察官、法務局係官に共同絶交を受けた旨陳述して善後策を陳情している事実、同月一四日に原告が家族とともに人吉市に移住し、以後意に副わない日給六八〇円という低収入の日雇人夫として稼働している事実を考え合わせると、次の事実を認めることができる。

被告平生と同江口は昭和四一年四月一七日頃警察署で菅野三善に対する前記傷害および傷害助勢事件について取調を受けた際、取調官の机上にある書類に被告平生が菅野三善の身体を五、六回強打しと記載されているのと原告の氏名が書かれているのを見て、軽卒にも原告が取調官にそのように供述しているものと速断誤信し、かつ原告がその際菅野が被告平生の腹部を蹴上げたことを供述していないのは原告が故意に被告平生と同江口の不利益になることだけを誇大に供述したものであると邪推して立腹し、被告市田らにその旨伝えたので、被告らは同月二五日午後一時頃前記木揚公民館において前記第二消防分団の会合があった際分団員らに対し右のとおり誤信、邪推した事情を述べて、原告に対する報復措置として右分団員および同人らの居住部落である木揚、大正、今山、風月野の住民達と共同して原告が木揚部落での共同生活、殊に前記営業生活ができなくなるように原告と絶交することを右分団員らと謀議し、被告市田が同日午後原告宅を訪れ、原告に対し電話代を支払った後、「これでお前の店には貸し借りはない。菅野の件ではあんたは嘘ばかり言っているが、もっての外だ。分団長として通告するが、今後お前の店では品物は絶対買わん。今から生きて行かれるか行かれんか覚えておけ。お前は那須忠義と同様村八分にすることに決定した。」と通告し、その一時間後頃被告江口と同平生が原告宅を訪れて原告に対し交互に、「お前は何故嘘を警察に言ったか。警察に行って調査書を訂正してこい。それとも取り下げてけえ。お前一人の頭と村の人間全部の知恵比べだ。」などと申し向け、その後更に前記第二消防分団員ならびに農村地帯である木揚、大正部落の大多数の住民らと順次前同様の共同絶交の共謀をしこれを実行した。原告はその間右四月二五日と翌二六日の二日間前記一武駐在所警察官および人吉警察署警察官と相談し、同月二七日頃には原告と被告市田と木揚区長の訴外市田行男とが集って仲直りの話が進められたが、途中で決裂した。そして、その後も被告らの前示共同絶交の順次共謀とその実行が進められたため、原告の子らも他の子らから「村八分の子。お前の店から品物は買わんぞ。」といじめられ、原告は同年四月二六日と翌二七日の二日間右事情で休業し、同月二八日から店を開いたものの、以後は従来一日二七、八名あった来客が従前の三分の一以下に激減し、漸次低下して同年五月一〇日頃からは殆ど来客が跡絶えてしまった。そして、原告は同月九日と同月一一日錦町役場の総務課長に、同月一一日には警察官に、同月一二日頃には法務局の人権擁護事務担当官にそれぞれ事情を話し、善後策を求めたが、解決策を得られなかったので、もはや従来の部落で共同生活を営むことはできないと諦め、同月一四日一旦同所から人吉市上原町の実兄川内元男方に身を寄せ、同年六月に前記家屋を解体し、その材料を運搬し、これによって現住所に従来とほぼ同規模の家屋を建築して家族とともに移住した。

≪証拠判断省略≫

四、右事実関係によれば、被告らは原告が被告江口と同平生の刑事被疑事件について捜査官にした供述を一部誤解し、かつこれに一部脱漏があることを理由に原告と共同絶交をしたものである。しかしながら、右一部誤解が理不尽なのは無論のこと、その供述に客観的には一部脱漏があるとはいえ原告は自己が記憶するとおりの供述をしたのであるから、右共同絶交には何ら正当な事由はない。けだし、人の供述は知覚、記憶、表現の過程を辿るものであるけれども、人が経験したすべての現象を洩れなく知覚、記憶、表現することは殆ど不可能であるから、人の供述に一部脱漏があることは避け難く、証拠としての供述は供述者の記憶どおりに供述されたことをもって最上としなければならぬからである。

なお、本件共同絶交の中核はボイコット(不買同盟)にあるが、ボイコットは一般に違法性がないとする見解があるので付言するに、農村における部落居住民が営業者の営業生活ができなくなる程度のボイコットをすることは営業者の営業生活の死命を制するものであるから、正当な理由がない限り同人の自由と名誉を侵害する違法性をもつものというべきであるところ、本件はまさに部落居住民が正当な理由がないのに営業者である原告の営業生活ができなくなる程度のボイコットをした場合にあたるから右ボイコットは違法である。

そして、右事実関係によれば、原告がもはや従前の部落での共同生活、殊に営業生活を営むことはできなくなったと諦めて現住所に移住したことはまことに無理からぬものであり、これをもって原告の早計に基づくものとすることはできない。

従って、被告らは違法に原告を共同絶交に付し、その自由と名誉を侵害したものであり、これによって原告に与えた後記全損害を賠償すべき義務があるものといわなければならない。

五、次に、右共同絶交により原告の蒙った損害額について判断する。

(一)  ≪証拠省略≫によると、原告は原告所有の前示家屋の解体および移築費用として代金合計金二三万六九八四円を支出したことを認めることができ、右認定に反する証拠はない。しかし、他方、原告がその他に右費用として金三万円を支出したとの原告の供述は記憶の根拠が明確でないので採用することができず、他にこれを認めるにたりる証拠がない。

(二)  ≪証拠省略≫を考え合わせると、原告は錦町第二消防分団の地盤でもある木揚、大正、今山、風月野の四部落(全戸数約一二〇戸)の農村地帯を地盤として前示雑貨商を営み、その四部落中に雑貨商を営む者は原告の他になかったので、共同絶交前の一年五か月間に前示営業により原告主張の金六〇万円を下らぬ収入を得ていたが、同営業は妻とともに営んでいたもので、同営業における原告自身の労働寄与率は八分の五であるから、右営業による原告自身の右一年五か月間の収入は右六〇万円に八分の五を乗じて得た金三七万五〇〇〇円となること、原告は昭和四一年七月から同四二年一〇月までは警察署の斡旋により日通に日雇人夫として勤務し、日給六八〇円で月平均二四日間稼働したので、右一年四か月間に合計金二六万一一二〇円の収入を得たことを認めることができる。もっとも、≪証拠省略≫によると、訴外西村農業協同組合購売部は昭和三九年から味噌、醤油等の日用雑貨品を代金は年一回購入者である組合員の米供出代金をもって支払う方法で一般小売店より廉価に販売していたこと、訴外上村程松は原告から本件共同絶交前に原告の前示商店の家屋を売却したいという意思表示を受けたことが認められるけれども、反面、≪証拠省略≫によると、西村農業協同組合購売部は錦町大字西の戸数約八〇〇の世帯を目当てとするものであり、その営業所は原告の商店の主な地盤である木揚、大正部落とは約一粁離れており、原告の店が取り扱っていた生鮮食料品は扱っていなかったこと、原告が上村程松に右のような意思表示をしたのは、当時原告が上村に金員を貸与していたが、弁済を受けられないので、原告の営業が思わしくない旨虚偽の表示をして上村に右貸金の督促をする目的であったことが認められるから、これらをもって前記認定を動かすことはできず、他にこれを左右するにたりる証拠はない。

そうすると、原告は本件共同絶交により原告主張の昭和四一年六月から同四二年一〇月までの一年五か月間に右損害金三七万五〇〇〇円から右利益金二六万一一二〇円を控除した金一一万三八八〇円の得べかりし利益を失ったものといわなければならない。

(三)  ≪証拠省略≫によると、原告は被告らの前示共同絶交により昭和三四年四月以来錦町大字西字木揚において築き上げて来た商業上の社会的基盤を失い、その自由と名誉を侵害されてやむなく現住所に移住し、昭和四四年一一月四日現在自らは意に副わない低収入の日雇人夫として稼働し、妻は市場の売子として勤務して家計を維持していることが認められ、これに本件口頭弁論に現われた一切の事情を綜合すると、原告が被告らの本件共同絶交により甚大な精神的苦痛を受けたことおよびこれに対する慰藉料は金六〇万円をもって相当とすることが認められる。

(四)  ≪証拠省略≫によると、本件損害賠償請求事件は複雑であって原告自らその訴訟を進行することは困難であるので、原告は和気寿弁護士に対し昭和四二年九月一八日これを委任し、その報酬として取れ高の一割五分以内の金員を支払うことを約束したことが認められ、格別反対の証拠はない。そして、本件共同絶交は刑法上も脅迫罪を構成する強度の違法性を帯びる不法行為であるから、本件弁護士費用は本件不法行為と相当因果関係に立つ通常の損害であるというべく、以上の諸事実を合わせ考えると右弁護士報酬は原告主張の金一〇万円を下らぬものと認めるのが相当である。

(五)  そうすると、被告らは原告に対し連帯して以上の損害額合計金一〇五万八六四円とこれに対する本件不法行為後である昭和四二年一一月一四日から支払ずみまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金を支払うべき義務を負うものといわなければならない。

六、そこで、原告の被告らに対する本訴各請求は右認定の限度において理由があると認めてこれを認容し、その他を棄却し、訴訟費用の負担について民事訴訟法八九条、九二条本文、九三条一項但書を、仮執行の宣言について同法一九六条一項を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 池田憲義)

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